2025年7月の記事一覧
救世主
おはようございます。
今日も、酷暑になる予報ですね
図書館へ来館される際は、体調も確認
しながら、時間帯なども考慮し
お越しくださいね。無理はなさらずに。
おすすめは、夕刻17時から19時ですよ。
こんな暑さの救世主は、なんと言っても
「スイカ🍉」ですね~
アイスクリーム🍦🍧もいいですが、
水分を多く含む「スイカ」は、脱水を
防ぎます。
こちらの写真は、昭和44年 市内小学校の
子どもたちが、スイカを食べている写真
です。
畑も多いこの地域。
5月には、スイカの苗を植え付けます。
夏のキャンプでは、スイカ割り🍉は
楽しみの1つでもあります。
スタッフが子どもの頃は、
夏休みの おやつは、 とにかく
「スイカ スイカ スイカ」だった
記憶があります。
そして、お腹が チャポチャポで
食事の時間には、ご飯が食べられず
今が旬な スイカで 酷暑を乗り切り
たいですね
危険
こんにちは。
お昼時間になりました。
愛西市の気温は・・・13時現在
35.9度
(tenki.Jpより)
午前中から危険でしたが、
これからの時間は、更に
危険な暑さです 😖
中央図書館へのご来館は、
夕方17時以降が
おすすめかもしれません。
中央図書館は、19時まで開館
しています。
暑さ対策の本を紹介しています。
流石に、ここまで暑くなると。。。
食中毒にも警戒ですね。
酷暑もかなりの危険がありますが
朝から カムチャツカでの地震の影響で
「津波警報」も広い範囲で発令中。
今のうちに様々な災害の
「夏場の災害対策」を、
真剣に考えて、備えておく必要が
ありますね。
祭礼・ライブ③
市江車の祭の見どころ
なんといっても、鉾持ちの
ダイブですね。
第1の鉾持ちは、今年最後の ベテランです。
手桶の水をかけられ気合いが入ります。
そして「行くぞー」と大声をあげ
潔く池に飛び込みました。
そして御旅所までを10人の鉾持ちが
一列になって泳ぎきります。
この鉾の上についている物
1番・2番の鉾持ちをしたお宅では、代々
自宅の軒先に このように飾るとか。
そのような解説も聴くことができ
ためになりました。
そして、酷暑で 裸足で神社まで走る
鉾持ちたちは、今年から わらじを履く
ことに。
安全にも配慮して祭りを継承していく
ことも大切ですね。
3番の鉾持ちは、 神社に神様の神輿が
お帰りになる(神輿還御)重要な役目も
あります。
神社に通ずる 太鼓橋に張られている
しめ縄を手で切ります。
切ることで、神様がお帰りできるのです。
これは、手で切る瞬間が映像として
観ることができました。
そして、一連の祭りは無事に終了
です。
クローバーTVによるライブ中継
再放送を視聴できます
【宵祭】
8月9日(土)午後8時~午後11時30分
【朝祭】
8月10日(日)午後9時~午後11時30分
歴史解説付きで もう一度 祭りを
楽しみたい方。
祭りを観ていなかった方。
ぜひご視聴くださいね。
祭礼・ライブ②
そして、本日27日、朝祭の当日です。
中央図書館では、午前9時10分から、
朝祭のライブビューイングを開催
しました。
15名くらいの方が、涼しい会議室にて
歴史解説を聴きながら 朝祭を見守って
いました。
(※ここからの祭りの写真は、
全てクローバーTV)
昨夜の巻藁船だった 津島五車も、 だんじり船
へと全く違った様相に。
そして、愛西市の「市江車」が先頭となり
車河戸から出航です。
今年の 能人形は。
「東望朔(とうぼうさく)」
こんな姿をしています。
こちらは、毎年祭り14日前の「置物定め」
のくじによって26体の人形の中から
選ばれています。
ちなみに、津島の当番車は、「高砂」と
いう能人形と決まっています。
市江車の 能人形は 毎年 最初から作り
あげています。
ライブの会場の外でも、天王祭関係の
資料や、能人形の説明なども 紹介
しました。
祭礼・ライブ①
26・27日の2日間にかけての
この地域の夏の風物詩
「尾張津島天王祭」宵祭・朝祭。
昨夜は、昼間の暑さから
観覧も心配されましたが、日の落ちる
頃は、良い風も吹いていました。
巻藁船にとっては 提灯に火を点す
ため 風が吹くことで、提灯が燃えて
しまわないか、船頭の方も 舵取り
も難しくなります。
今年は、船の出航に少し時間が
かかりました。
1年に1度 この時を成功に!
という 関係者の方 の熱い思い
が込められていますね。
そして五艘が揃い、提灯の灯り
が 水面に映った姿は現像的で
素晴らしかったですね。
(ここからの写真は、全てクローバーTV)
今年の当番車は。
1つ1つの巻藁船が 神様が鎮座している
御旅所に近づいてくると その大きさに
圧倒されます。
くじによって当番車が決められ
米車→今車→筏場車→下車→堤下車
と続きました。
そして、着岸すると、 神輿の神様に
御挨拶
津島五車とも、御挨拶が済むと、最初の
地点の車河戸へ 戻っていきました。
歴史解説では、 五車は江戸時代に入って
から。それまでは三車だったとのお話も。
そして 夜も更けたころ、 今度は
「朝祭」に向けて 船も変化を遂げて
いきます。